それは、偶然。


   降水確率50%


   あれは、3年になったばかりの春のそんな難しい天気のある日。


   いきなり降り始めたどしゃぶりの雨の中


   傘がないのか、困った顔で雨宿りをする3人の子供達を見つけた。









   3 6 5 歩 の 恋 心









   「どうしよう・・・。」








   困ったな、と目線を移した私の手の中に傘は1本。


   自分の為にさしているこの水色の傘1本だけ。














   あの子達に貸してあげようか、けど。


   この大雨の中、自分はどうしよう。


   濡れて帰るにしても、距離がありすぎるし・・・。


   この傘に4人入るのはきっと、ムリだ。















   自分の広げた傘と、向こうの子供達。


   視線を彷徨わせても、グルグルと考えがまとまらない。














   「あー、どうしよう・・・。」














   その場から離れるコトも、傘を渡すコトも出来ない。


   そんな優柔不断な私の目線の先に、


   ふいに背の高い見慣れた姿が入り込んで来た。














   「あー、冷てぇ!」
   













   ピチャピチャと水をはねながら、小走りに雨宿りをしている子達に近づいたその人は














   「兄ちゃんの傘貸してやるから、帰りな?」














   大雨の中なのに、子供達の目線に合わせるようにしゃがみ込んで


   自分が濡れるコトなんかこれぽっちも厭わずに、


   ニコっと笑って、その小さな子達の手に傘を渡した。














   「ホラ、早く帰んねぇと母ちゃんに怒られるぞ?」



   「うん・・・でも、兄ちゃんはどうするの?」



   「兄ちゃんはココから家近いから、大丈夫。」



   「ホントに?」



   「ホントだって。」



   「・・・ありがとう!お兄ちゃん!」














   小さい子の頭をグシャグシャと優しく撫でる、その優しい姿に目を奪われて


   それが、1歩目。


   ドキドキする鼓動と一緒に、私の恋心が歩き始めた。














   「黒羽くん、風邪引かなかったかな。」














   あの日は、家に戻ってからベットにゴロンと横になってからも、


   雨、傘、笑顔。


   あのシーンがずっと目に焼き付いて忘れられなかった。














   子供達を見送ってから、雨の中を走って行った


   あの人は、同じクラスの黒羽くん。
















   3年のクラス替えで、初めてクラスが一緒になった黒羽くんは


   2年で同じクラスだった佐伯くんと同じように人気者。


   けど、同じクラスになって初めて間近で接した黒羽くんは


   人気者、なのにちっとも威張ってなんかなくて。


   背が高くて、髪が短くて、明るくて、男の子らしくって。


   あぁ。皆が噂しているのも、騒ぐのも、頷けるな。


   本当にそう思ったんだ。














   『黒羽です、よろしくね。さん。』














   初めて言葉を交わした時の黒羽くんの眉根を下げて笑う、その笑顔を見て。


   何て、優しい顔をして笑う人なんだろう。


   そう、思った。














   『よろしく・・・黒羽くん。』














   そして、私は。


   雨の中、子供達に向けられた優しいあの横顔を思い出しただけでも、


   なんだか胸の中がドキドキと騒がしくて。















   あの笑顔を向けられたあの子達が羨ましいな、なんて。


   大人気ない、ヤキモチなんて妬いてしまった。















   「これは、重症かも・・・。」














   ヒサビサの恋の予感に、眠れない夜を過ごして次の日に、なって。


   偶然と言うのは、続くもの。














   「さん、オハヨ。」



   「あ、お、おはようっ!!」














   偶然、一緒になった朝の下足箱。


   いきなり後ろから声をかけられて、慌てて振り向いた先には


   楽しそうに声を立てて笑う黒羽くんがいた。














   「そんなに驚くなよ。ちょっと傷ついたなぁ。」



   「えぇ!?ご、ごめんっ!」



   「イヤイヤ、冗談。」














   「さんは、反応が素直で面白い」と、黒羽くんは笑って。


   それは、誉められたんだか何だかわからなくて少し恥ずかしかったけれど。














   下足箱、下から3段目。


   背の高い黒羽くんには釣り合ってない、低い位置の自分の下足入から


   カタンっと音をたてて上履きを取って、靴を履き替えて教室に向かおうとした、


   その大きな背中に。














   「く、黒羽くん!昨日風邪引かなかった!?」














   どもってばっかりの格好悪い私は、もう少し話したくて思わず声をかけた。














   「アレ、見てたの?」



   「うん、たまたま通りかかって・・・。」



   「そっか。アイツら、どこの子か知らねぇけど。ちゃんと帰ったかなー。」














   大きな背中の持ち主は、昨日のコトを思い出したのか目を細めてそう言って。


   それから照れくさそうに「そっか、見られてたんだ。」と頭を掻いて小さく呟いてから


   「サエとかに言わないでね、照れくさいから。」と、私の歩調に合わせて教室へと歩き始めた。














   あぁ、これで恋心2歩目。














   1日1歩、3日で3歩。


   水前寺清子の歌じゃないから、3歩進んで2歩下がるコトはないけれど。


   次の日、体育をしている黒羽くんを見て、3歩目。


   また次の日、テニスをしている黒羽くんを見て4歩目。


   私の心は黒羽くんに接する度に、


   1日に1歩づつ、どんどん恋心を刻んでいくようになった。















   あれからずっと、毎日1歩1歩。


   胸の中では恋心が足を進めているのに。


   毎日、毎日、時間が過ぎる度に。


   心だけが想いと一緒に先走って。


   毎日、毎日、こんなにも時間が過ぎているのに。


   私の本当の足は止まったまま。













   
   「ちゃん、重症かもしれない・・・。」



   「もう、重症も重症。そんなに好きならさっさと告白しちゃえばいいのに。」



   「でも、言えないんだもん・・・振られるの怖い・・・。」
   


   「もう聞き飽きたよ、ソレ。」



   「だってぇ・・・。」



   「そんな事言ってたら、誰かに取られちゃうかもよ?」



   「それはイヤ・・・。」














   黒羽くんと下足箱から教室まで一緒に歩いたあの日から。


   黒羽くんとは、たくさん話せるようになって。


   黒羽くんからも、いっぱい話し掛けてくれるようになって。


   ずいぶん仲良くなれた、そう思う。














   「ちゃんはいいな、ずっと好きだった佐伯くんの彼女になれて・・・。」



   「と違って、ちゃんと自分で言ったもん。」



   「う・・・痛いトコ突かないでよ。」














   けれど、3学期も終わりに近づいた今だに。


   私はこの気持ちを黒羽くんに言えないままだ。

















   『誰かに取られちゃうかもよ?』

















   放課後の教室で、


   頭の中に回るのは、昼休みに言われたちゃんからの一言。














   「まったく、ちゃんの言う通りだよ。」














   その日、日直だった私はようやく書き終わった学級日誌を胸に抱えて


   1人、小さくため息をついた。














   「明日、明日こそ・・・言えたらいいなぁ・・・って、言えたらいいなじゃダメ!言うの!」














   情けない自分に、自分で言い聞かせながら


   チラっと目線を向けた窓の外、空はドンヨリとした灰色に曇り始め。


   今朝のニュースの降水確率70%も満更じゃないな。早く帰ろう。


   そう思いながら私は席を立って、日誌を届けに職員室へと向かった。














   向かった、けど。


   職員室へなんて、行かなければよかった。


   このたった、5分後。


   こんなにも、そのコトを後悔するなんて。













   
   「ごめん。付き合えない。」














   5分前の私は、あぁ。どうしてこんなに呑気だったんだろう。


   聞くつもりなんかなかった。














   「好きな人が、いるんだ。」














   日誌を片手に教室を出て、トントンとコンクリートの階段を3Fから2Fへ降りて行く私の耳に


   ふいに、そんな声が聞こえた。













  
   あちゃ、ヤバイ。居合わせちゃマズイ現場に出会ってしまった。














   慌てて階段を降りるのを止めて、立ち止まった。


   踊り場で話してるから、職員室行けないな・・・。


   そう思ってから、一呼吸。


   ・・・アレ?と思った。














   ス キ ナ ヒ ト イ ル ン ダ 。














   間違えるわけがない。














   ス キ ナ ヒ ト い る ん だ 。














   あの声は黒羽くん。














   ・・・そりゃそうだ。


   好きな子くらい、いるよね。


   そう思ったら、足から一気に力が抜けていくのがわかった。














   我ながら、なんてマヌケなんだろう。


   今まで、私と同じように黒羽くんを好きな子に黒羽くんを取られたらどうしようって。


   そんな事ばっかり考えてた。


   黒羽くんに好きな子がいるなんて、考えてもみなかったよ。














   今まで、そんな事すら考えずに浮かれてた私は何なんだろう。














   「あれ?さん。」














   ふいに、声がして。


   その声にビクっとして顔を上げると、階段を上って来た黒羽くんがいた。


   黒羽くんは、踊場で固まってる私を不思議そうに見て。


   それから、私の腕の中の日誌へと視線を向けた。














   「あ、えっと。日直だったから、その・・・。」


   「日誌返しに行くの?俺も一緒行こうか?」


   「う、ううんっ!いいっ!!」














   不自然な程に首を横に振ったのは、黒羽くんと目線を合わせたくなかったから。


   目線を合わせたら、全部伝わってしまう気がしたから。














   最後まで意気地のナイ私は、黒羽くんの横をすり抜けて。


   職員室まで一気に駆け込んで、日誌を置いて学校を出た。














   きっと、黒羽くん。


   私のコト、変なヤツって思っただろうな。














   意気地なし。














   涙が出て、前が滲んで。


   しゃくりあげたら、喉が苦しくて。


   胸の真ん中がやたらと痛かった。














   でも、この苦しさは。


   いつまでもグジグジと告白できなかった自分のせい。














   意気地なし。














   でも。


   言えてたら、何かが変わってたのかな。














   今日は、降水確率70%


   だけど、予報を信じずに傘は持ってこなかった。


   本当だったら、今頃大慌てなんだろうけれど


   でも、今日は持ってこなくて正解だったのかもしれない。














   ポツポツとこぼれ落ち始めた空からの涙は、


   次第に激しくなって行って。

 
   私はそんな雨の中、黒羽くんに最初に恋をした公園にいた。














   濡れた前髪の向こう、ピンクの象の滑り台が雨に打たれてて。


   何だか無性に、悲しかった。














   黒羽くん。



   黒羽くん。














   「好きっ・・・。」














   本人に言えなきゃ、意味ないじゃない。














   「ずっと、好きだったっ・・・。」














   さっき、言えばよかった。


   好きな人がいたって、私は黒羽くんが好きって。


   何かが変わってた?変わらないかもよ?


   いいじゃない。


   何も変わらなくたって、後悔するくらいなら1歩1歩踏みしめた想い伝えればよかった。














   「・・・好きでした。ずっと、ずっと。」














   1学期、2学期、3学期。


   黒羽くんとの1年間が終わろうとした今更に。


   初めて口から飛び出した、私の言葉。
   

   しゃがみ込んで。


   膝に額をコツンと当てて、喉に留まっていた言葉が出ると、


   不思議と、少し喉元が軽くなった気がした。
  













   「黒羽くん。」
   













   雨音に紛れて、名前を呼んだら、


   覆い被さるようにジャリっ、雨を含んだ砂を踏む音がして。














   雨の中、ビショビショになりながら座り込んだ私の上の


   雨が、止んだ。

















   「兄チャンの傘貸してやるから。帰りな?」

















   それは、いつだったか聞いたセリフ。


   恋の1歩目。


   私が黒羽くんに恋をした、その日の。














   「・・・・黒羽くん・・・?」



   「さんが走って学校出るの見えたから、追いかけて来た。」














   直に当たっていた雨粒の感触が消えて、


   雨音が何かに弾かれる乾いた音に変わって。


   ビックリして顔を上げた先には、


   私と同じように屈み込んだ黒羽くんと。


   黒羽くんが広げてくれた紺色の傘の内側が見えた。














   「俺が雨の日にチビに傘貸してやったのって、4月くらいのコトだっけ?」



   「うん・・・覚えてたんだ?」



   「そりゃ、ね。」














   黒羽くんは、ゴソゴソと自分のスポーツバッグの中を乱暴に漁って


   「うわ、テニス部なのに今日に限ってこのタオルかよ・・・。」


   サッカー日本代表の青いタオルを引っ張り出すと、私の頭の上にパサっと被せた。














   「そりゃ、好きな子から初めて話しかけてくれた時のコトだからさ。」














   紺色の傘の中。














   「忘れるわけがない。」














   雨粒の跳ねる音が、


   一瞬、聞こえなくなった気がした。














   「好きな・・・人?」



   「そう、好きな人。」














   指差された私は、驚いて涙も止まる程。ハトに豆鉄砲。


   指差した黒羽くんは、どこか不安そうだった。














   「さっきの階段で、もしかして聞こえてた?」



   「・・・・うん。」



   「それで、泣いてくれたってコトは。期待してもいいのかな。」














   黒羽くんは、タオルの上から私の頭に手を乗せて。













   
   「好きだったって、もう過去形?」














   私の顔を覗き込んだ。
  













   「・・・・・・違う!好きっ!」













   
   泣いたカラスがもう笑った。


   このコトワザがピッタリだって、ちゃんに笑われるかもしれない。














   けど、言いたかった。


   ずっと言いたかったから、
   

   大声でそう言って、濡れた地面に膝をついて。


   目の前の黒羽くんのその首筋に抱きついた。














   傘がコロコロ地面に転がって。


   抱きついて、から。


   咄嗟にしてしまった、この行動に。


   自分でもビックリして、恐る恐る体を離すと














   「さん、真っ赤。」














   目の前の黒羽くんは、私に劣らず真っ赤になっていた。














   「ご、ごめんっ!」



   「いいよ、役得だし。」



   「・・・・・。」



   「あの時はさ、チビ達に傘貸して濡れて帰ったけど。今日は貸さない。」














   黒羽くんは、コホンと1つ咳払いをして。


   イタズラっぽく笑って私の手を引いて立たせると、














   「送って行くからさ、一緒に帰ってよ。」














   私の手を握って、地面に落ちた傘を拾った。














   「ねェ、黒羽くん。」



   「何?」



   「私も期待しても、いい?」














   主語はつけなかったけれど、黒羽くんは「もちろん、いいよ」と微笑んでくれた。














   その笑顔に、また1歩。














   きっと、私はこうやって。


   毎日、毎日、黒羽くんを好きになって行くんだろうな。














   1年365日、恋心が365歩を刻む度に、もっともっと。














   「ねぇ、さん。1年って365日だよね。」



   「うん。」



   「2年で?」



   「・・・730日?」



   「じゃあ、3年。」



   「数学は苦手・・・。」



   「あはは!1095日が正解。」



   「桁が多いよ。」














   苦笑した私に、黒羽くんは「まぁ、聞いてよ。」と笑って。
















   「とにかくさ、桁が4桁になっても。5桁になっても一緒にいれたらいいね。」
















   繋いだ手を引きながら「気が早いか。」と、照れくさそうにまた、笑った。














   ねぇ、神様。


   こんなに私、幸せでいいのかな。


   今まで悪いこともしてないけど、


   こんな幸せと引き換えになる程のイイコトだってしてないよ?














   でも、これからはイイコトだって頑張るから。


   だから、お願い。


   間違いだったとか、夢だったなんて言わないで。





















   一歩目を歩み出した時から。




   この想いが止まりそうのない予感はしてた。


















   1歩、1歩の恋心。
   



   この先もずっと、1歩、1歩。




   ずっと、ずっと。









   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
綾音様からいただきました!

あぁ…1ファンとしてページに載せさせて頂けて本当に嬉しく思います!!

もう1作品いただきました!!

凄く素敵で、しつこいぐらいにファンメールを送ってしまってます。(をぃ)

綾音様の素敵サイトunconditionallove様はこちらです